47歳からの心理学学習帖

週末研究者の研究ノート。キャリアカウンセリングを中心に、心理学、社会学などのトピックを取り上げていきます。過去記事には東京未来大学在籍時の学習ノートをそのまま残しています。

カウンセリングの原理

カウンセリングの原理

カウンセリングの原理

カウンセリングは、カウンセラーとクライエントとの独特な対人関係を前提として行われる援助である。
ロジャーズは、カウンセリングと心理療法をはっきりと区別しなかった、だが、カウンセリングと心理療法は、その対象も、目的も、主題も異なるのだとこの本で國分先生は言い切っている。
心理療法を実証研究によって支えるのが臨床心理学であり、同様にカウンセリングを支えるのがカウンセリング心理学である。
ただし、カウンセリング心理学は、心理学だけに依拠するのではない。社会学文化人類学経営学、教育学など広く行動科学を参照しつつ実践される。
さらに、キャリア、教育、産業などなど、クライエントの問題に適した実践的知識を使う。つまり、キャリアカウンセラーや教育カウンセラーなど特定分野に特化したカウンセラーは、その分野に特化した実践に必要な専門的知識が必要だ。
これは至極当然のように思われる。キャリアの問題を扱うのにキャリアに関する知識も、カウンセリング経験もないというのは、頼むにあたらない。転職したほうがよいのかどうかという相談に応じるのに、ただ、クライエントの語りを聞くだけに終始していては、失望だけが残るだろう。
クライエントが自ら答えを導き出すのを援助するのだとしても、その援助の仕方はいろいろある。
いろいろある仕方、アプローチの選択は、クライエントとの会話を手がかりにカウンセラーが考えることが多い。
國分によれば、クライエントの解決に役立つのであれば、どんな仕方であってもよい。要は、解決に至ることが最優先であり、カウンセラーが、ロジャーズ派なのか、ユング派なのかなどはカウンセリングという対人援助においては、ほぼ意味を持たない。むしろ、それはカウンセラー自身の哲学の問題なのだ。
カウンセラーがどのような哲学を持っているのかによって、手法の選択は異なる。自身のカウンセリングを折衷派と呼ぶ國分の態度は、プラグマティズムで一貫している。
つまり、ここでの哲学とは血肉化された哲学であり、日常の行動選択を規定する哲学である。心理学について知らなくても、人は誰でも心の理論を持っており、それを素朴理論やしろうと理論と呼ばれたりするが、同様に、人は自身の価値観やその人なりの物事の見方、さらに世界観を持つ。アリストテレスやカント、ヘーゲルなど、哲学的著作を読もうが読むまいが。
ふだん、人は自身の哲学を認識していることはあまりおおくはなきが、國分は、カウンセラーには、その自覚が必要だとする。國分の指摘は、カウンセリングの関係性に由来する。
カウンセリングでは、健常者の発達課題が扱われる。その時、カウンセラーは時に、傾聴や受容だけで済ませるのではなく、クライエントに指示する。現実原則と快楽原則。それら二つの配分は、カウンセリングがどこで行われるか、クライエントはどんな課題を持っているのかなどによって異なる。

箱庭療法の展開やユング派という印象の強い河合隼雄も、最優先においていたのは、クライエントの問題解決なのではなかっただろうか?その点で、河合と國分は重なる。河合は日本の臨床心理学をリードし、國分にとっては対決する相手出会ったのかもしれないが。