世襲と格差
- 作者: 橘木俊詔,参鍋篤司
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2016/05/18
- メディア: 新書
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ひと昔前に流行った金持ち父さんのメッセージは、お金に働いてもらおう、そのために資産を持とうということだったと記憶しています。
今。議論されている格差社会では、金持ち父さんのメッセージは、確かにすでにある程度の資産を持っている人たちには該当するかもしれないが、資産を持たない人たちにとっては絶望でしかありません。
橘木俊詔さんの世襲格差社会でも、やはり、資産を持っているかいないかが分岐点だと思います。
ただし、ここでの資産は不動産や金融資産だけにとどまらず、カンバン、チバンも含むものです。
医師、政治家、弁護士、農家などの世襲の実態を実証ベースで手際よく分析していく中で、格差は単に再生産されていくだけでなく、より格差を拡大していくのだということを教えられます。その主要工程が教育であるというのは、苅谷剛彦さんの学力と階層にもつながることではあるのですが、前近代では、武士は藩校に通い、町人は寺小屋に通っていたのを思い起こせば、元々教育は階層と密接につながっていたのでした。
戦後、アメリカに追いつけ追い越せという風潮に押され、国家全体で生産性を上げるために、一流大学、一流企業、幸せな生活という神話が形成され、高度経済成長期の増える所得を元手にして、高校、大学の進学率は上がり続けました。
高度経済成長期の神話は、一億総中流神話と共に雲散霧消しましたが、それと同時に、教育制度が持つ階層の再生産という機能がより鮮明に見えてきた、というのは言い過ぎでしょうか?
世襲も教育に支えられているのは、橘木さんの分析から明らかだと思います。
東大生の親も東大出身が多い、慶応出身の子どもも慶応大生が多いんだとすると、予備校に行かず宅浪して東大早稲田を目指すという受験生が懐かしい。漫画にもよく描かれた浪人生も神話のひとつだったのかと感じます。
世襲、階層の固定化。
それがグローバルな現象だとうことも指摘されていますが、日本や韓国の場合、なぜか、前近代に立ち戻るような気がするのですが、それは牽強付会というものでしょうか?
医師の子が医師になる、親の跡を継ぐ。
これって、非難されることでは決してありません。むしろ、当然とも感じられるのですが、他の商売でも代々続くというのは尊敬の念で語られることでもあります。
なぜか?
やはり、日本は儒教の国だからではないのか?
と考えると、格差はグローバルな現象だとは認めつつ、その日本固有のあり方にも視線が注がれる議論もありうるだろうと思います。