47歳からの心理学学習帖

週末研究者の研究ノート。キャリアカウンセリングを中心に、心理学、社会学などのトピックを取り上げていきます。過去記事には東京未来大学在籍時の学習ノートをそのまま残しています。

河合隼雄の「ぼーっと聴く」

聴くということは、非常にスリリングな行為だと、つとに河合隼雄さんは指摘しています。


「死のうと思っています」


そう言われて、「はー」と返す。

ここにはカウンセラーの賭けがある。

患者の可能性に賭けているのだと。


この可能性は、患者の考えていること、感じていることよりも、さらに深いところにある。そのため、患者がことばや態度で表現することにとらわれていてはいけない。


河合先生は、細部にとらわれてはいけないと言われます。

細部にとらわれると、そのひとそのものがわからなくなる。

「ぼーっと聴く」というのは、そのひとの可能性に賭けて、そのひとそのものをわかろうとすることなのでしょう。

ここで、わかるというのは理解するということではなく、感得することだとも言われます。感心する。感激する。


「人の心などわかるはずがない」

そのように河合先生は言い切ってもいるのですが、そこでのわかるは、理解するという意味なのでしょう。

つまり、客観的に観察できる事象から吸い上げて、このひとはこういうひとだと説明可能な言語にする。それを理解するということだとすると、それは分析する、解釈するということでもある。

感得するという意味でのわかるは、そうではなく、たとえば、パッと見てわかる、そういうのに近い。ユング心理学入門」に書かれている現象学的接近法。

ここで、河合先生が着目しているのは、関係性。そこで、問われているのは、カウンセラー自身が、患者との対話で、何を感じ、何を考えているのか、ということです。つまり、患者がもつ悩みなどに対して、カウンセラーも当事者であることが強調されている。


ひとの悩みを聞いて、

「がんばってください」

というのは、当事者のことばとしてはありえない。


カウンセラーが当事者意識をもつということはどういうことなのか?


たとえば、クライエントもカウンセラーから感じ考える。ふんふんとうなづいているけれど、ビンボーゆすりをしているカウンセラーからクライエントはどんなことを感じるか?

カウンセリングとは、クライエントとカウンセラーの相互作用の営みであって、カウンセラーの一挙手一投足がクライエントに影響を与えている。それ以前に、お互いの存在自体が影響を与え合っている。

この相互作用そのものからはカウンセラーは逃れられない。

そう考えると、当事者意識が問われているというのも、その浅い、深いが問われているのだと思うのです。