河合隼雄に学ぶ
フロイトは、アドラーとも、ユングとも比較されているのはよく目にします。
フロイトの精神分析が一般的に浸透しているため、それと比較することで、アドラーの個人心理学も、ユングの分析心理学も、その特徴を理解しやすいということなのだと思うのですが。
フロイトの精神分析も、キャリコンの教科書レベルしか持たない私は、上記のような比較を目にしても、表面的に違いを理解するところでとまっている気がします。
ただ比較するというのは、ほんとうに難しく、たとえば、フロイトの超自我、自我、イドとユングの自己と自我にしても、何を軸にして比較するのかによって、そんなまとまりもつかない気がします。
ところで、アドラーも、ユングも、キャリコンではほとんど取り扱われることはありません。
アドラーは、最近の流行りやサビカスへの注目から多少は目にします。
ユングは、中年期の危機として取り上げられるくらいです。
キャリコンといえば、ハローワークの相談員などをイメージするように、職探しの個人と職業とのマッチング支援というイメージが強いからかもしれません。臨床心理学ではなく、カウンセリング心理学からの働きが強いように見えます。
たとえば、キャリコンの試験で国分康孝は出題されても、河合隼雄は出題されたことがありません。
ただ、サビカスのキャリアカウンセリングやナラティブセラピー、社会構成主義などがキャリコンの中でも話題とされているのを見ると、非常に臨床心理の分野に近づいていっている、そんな気がします。
もちろん、臨床心理といっても、この分野こそ、非常に幅広いのですが、私自身は、今、河合隼雄への関心がとても強くなっています。
河合隼雄は、ユング派の分析家と知られ、心理学から神話、物語と非常に幅広い著述家、特に箱庭療法の普及でも名を馳せていますが、その核は、ユング、フロイト、アドラーと同様、臨床家です。
カウンセリングに関する著作も多く、われわれキャリアコンサルタントにとっても、今でも非常に勉強になります。
クライエントのために何ができるかが臨床家として根本にあり、クライエントとカウンセラーとの関係性を非常に大事に考えた。
関係性を重んじたという点は、ロジャーズもそうです。ロジャーズは必要十分条件としてとてもシンプルにそれを提示した。河合隼雄もそれを評価しています。ただ、それを日本人の場合どうなのかについても考えている。そこがすごいなぁと思います。ユングについてもそうです。つまり、アメリカやヨーロッパで出来上がったものをそのまま、日本人に当てはめようとはしなかった。この点は、非常に大事なことだと思います。
そうした態度を学ぶことはもちろん、河合隼雄が残したものに立ち返ることも、相応に役に立つんじゃないか。そう思います。
物語についても、ナラティブセラピーよりは、私は河合隼雄のほうがしっくりきます。