アドラーの語り調の文体
ここ、ずっと、アドラーはkindleで読んでいます。で、気づいたのですが、アドラーの文体は語り口調なんですね。
試しに関西弁で訳してみたら、ピッタリきた。関西弁でなくても構わないのですが、より日常的な言葉でアドラーが読めれば、それがアドラーを学ぶのに1番良いと思われる。
共同体感覚も、社会への関心や感覚の共有と文脈に即して訳し分けても全然構わない。
器官劣等性も、身体の具合がよくないとか、劣等や優性にこだわる必要はほとんどありません。
よく外国語の翻訳は、日本語になっていない、とか、難しい漢字ばかりだという話を聞くことがありますが、もともと漢字文化圏のため、概念を表そうとするとほぼ漢字での表現になる。これは悪いことではないのですが、時に、今までなかった新語が作り出されることもあります。
脱構築も、日本語の表現としては、説明されないとよくわからない。その説明を理解するのにも時間がかかる。
こうした、意味の把握に時間がかかる言葉は、30年ほど前、批評、思想が語られる場面でよく見かけました。
言説。
書字。
多くの証言からアドラーは平易な言葉で聴衆に語りかけていた、という点は、もっと重視される必要があると思います。