47歳からの心理学学習帖

週末研究者の研究ノート。キャリアカウンセリングを中心に、心理学、社会学などのトピックを取り上げていきます。過去記事には東京未来大学在籍時の学習ノートをそのまま残しています。

ビリギャルから引き出す受験勉強の教訓

ビリギャルは、学習塾のプロモーション事例だと書きました。

 

amq87.hatenablog.com

 今回は、いったん、マーケティングから離れて、受験勉強のスタイルとして、ビリギャルから何を引き出せるのかをまとめてみたいと思います。

 

 Kindle版もあったのか、気づかんかった・・・

 

前にも書きましたが、この本を読んだからといって、高校生が偏差値を40上げるのは難しいと思います。もちろんこの本にも単語の暗記の仕方や歴史の勉強法、小論文対策などが書かれてはいますが、いずれも参考にはなるというレベルで、書かれていることをそのまま、実行しようとするとすぐに難題にぶつかるはずです。それは当たり前で、この本に書かれている勉強法は、さやかさんという学習者の知識レベル、学習意欲、興味・関心などをつぶさに観察した結果、指導者がさやかさん個人に対して行った実践だから。見方を変えれば、さやかさん以外の他の人に対しては、指導者も別の指導を取っているだろうということです。

個別指導は学習者に寄り添う形で行われる指導であり、指導者は先ず、学習者から信頼されないことには成り立たないものだというのは容易に理解できます。この関係性が築けないことには、塾という商売は成り立たないでしょう。

「あの先生、教え方、下手なんだよね〜。なにいってっか、全然わかんねえし。プリントばっかりやらせてさあ、解き方、全然教えてくれないんだよね」と、子ども同士でLINEなんかで流された日には、すぐに広がって、保護者にも伝わり、教室には生徒誰一人いなくなるという事態に陥るんでしょう。

と考えると、塾経営者も人気商売なのだなあと察せられます。しかも、いつ、お払い箱にされるかもわからない、常に、喉元にナイフを突きつけられている状況なのかもしれません。

LINEでネガティブなコメントを流されないためには、生徒一人ひとりときちんと向き合っていく必要があるのだと思います。

ビリギャルの巻末に、著者の坪田氏が、「性格&指導法の判定」を載せているのも、このことと無関係ではないでしょう。

偏差値を上げていく指導には、単に、生徒の「できる」、「できない」ではなく、「できない」要因を、本人の性格や興味、関心、家族の状況、友人関係、学校での様子といった、本人の生活全体をアセスメントしていく必要がある。そのアセスメントを通じて、本人に最適な指導法を行うことが求められる。カウンセリングに近いのかもしれません。

ビリギャルは、そう考えると、個別指導の実践報告です。そのため、高校生にとっては、この本を読んだだけで偏差値40も上がらないのです。

一方、個別指導の実践報告として読んでいくと、この本は「受験勉強」に対してのイメージを少なくとも突き崩していくことになるのではないかという感じがします。

「受験勉強」と聞くと、どんなイメージが思い浮かぶでしょうか?

例えば、受験に失敗したという場合、その失敗の責任は誰にあるのでしょうか?

あるいは、「受験勉強」は、「勉強」とは何が違うんでしょうか?

私自身、大学受験は20数年前の昔の話であり「共通一次」の時代です。スマホSNSもインターネットもなかった時代。受験勉強で言えば、偏差値全盛のころです。受験情報といえば、旺文社の「蛍雪時代」という雑誌くらいのものでした。

自分が通う高校で、だいたい受験する大学の偏差値のゾーンも決まっていました。偏差値の低い高校に通っている人間が、早稲田慶応を受けるなんて言おうものなら、それこそ、「身の程知らず」扱いです。

しかし、その頃から、「偏差値の低い高校から東大行った」、「学年ビリからがんばって早稲田に合格した」という話はあったのです。そこで強調されていたのは、「1日どれくらい勉強しているか」や「脇目もふらず、いかに勉強に集中したか」といった、勉強に対するストイックさです。修行僧に近いイメージがありました。英単語を覚えるために、辞書を1ページ1ページ読んでは食べるという人間もいたほどです。

そんな経験から私が持っている受験勉強のイメージは「自分自身との戦い」というものでした。その戦いには、ストイックさと切り離せません。もちろん、塾や予備校もありましたが、「講義」スタイルが中心で、講師の話を聞き、それを理解し、模試を受け、自分の順位を偏差値で確かめ、合格可能性の判定を確認するためのものでした。

「ビリギャル」で描かれている状況とは、まったく違います。

「ビリギャル」の受験勉強は、むしろ、チームスポーツに近いんではないかと思えてくるのです。

さやかさんがプレーヤだとして、彼女のサポート役はコーチとしての学習塾講師だけでなく、母親、友人がいます。遊び先のカラオケ店でも勉強していたというのは、信じられないエピソードではありますが、そのエピソードを通じても、友人たちがいかにさやかさんに好意的であったかが現れています。

1日15時間勉強するのは、相当、高いモチベーションでないと無理です。あるいはモチベーションが高いとしても、友人からの遊びの誘惑はなかなか打ち克ち難いものです。それがビリギャルでは、友人たちがさやかさんが勉強を続けられるような環境を整える役割を果たしている。

母親、友人たちの役回りも、塾講師の役割と同等かそれ以上に、注目されてよいでしょう。さやかさん自身の自分自身との戦いも随所にありつつ、偏差値40上げるためには、どれほど周りのサポートが大きな力を持つか。ビリギャルで、注目すべきはこの点だと思います。

受験や勉強というと、どうしても、「教師」と「生徒」との関係を中心に考えてしまいがちですが、もっと広く、人間関係や状況も含めて考えていく必要があるんだなと思います。そこまで含めて個別指導が行われていたのだとすると、繰り返しになりますが、やはり、ビリギャルはレアケースにあたるんでしょうね。

ビリギャルという特殊事例だけでは、マーケティングとしてはやはり足りない。

著者の坪田氏には、ビリギャルやその他の事例を貫通する、一般化された指導法を提示していくことが、次に必要だと思います。


そしてDVD発売。

本も累計120万部以上。

このあと、どういう坪田氏の展開となるのか?

注目しましょう。